この3連休は富山県に旅行をしていた。13年前は富山県に赴任しており、空港の近くにある住まいからいつもジェット音を聞いていた。大空への憧れを当日から持っていたのだろう。
そして空港横の緑地を歩いていると日差しが強くて、これば日焼けをすると思ったので日陰で歩くことにしたのだが、それでも飛行機の離陸は久しぶりに動画に収めたいと思い日陰が何もない緑地の小高い丘の上のベンチに腰掛けた。そして10分後、ANAのジェット機が轟音とともに札幌へと飛び立って行った。
そしてなんとその後に帰ろうとしたら、まさかのセスナ機が1機、音もなく舞い降りてきた。観客もほぼ帰りかえていて、2、3人しかいなかったと思う。そこにフラっと舞い降りたセスナ機。何かの縁だと思っていて、昨日セスナ機のライセンス取得の方法を調べた。
今朝は顔の皮がどんどん剥けてきている。やっぱりこうなったか、と思う。土曜日の夜は顔が痛くて熱を帯びていたので何か嫌な予感はしていたものの、その後はお風呂への顔へのシャワーも基本水を使い、洗顔もしなかった。だから大丈夫かな、と思っていたがやはりこの3日目に皮が薄く、窓に張り付いた水滴の後が残るように薄く貼り付いてる。そしてかゆい。ただ思ったほどは悪くない。新しい皮膚、新陳代謝が起こって新しい肌はとてもスベスベだ。もちろん日焼けど止めは今後使用するもののしばらくは熱くなっこの顔のら面を楽しみたい。
さて、自分は頭の中で物事を考えるというよりも身体を使いながら身体感覚の延長で物事を考えるのが好きだ。例えば英語を話すときはジェスチャーを用いて。ランニングしながら星の輝きを見ながら思考を宇宙の隅まで届くようなイメージで仕事をしたり。机の上にずっと座って黙々と資格の勉強をし続けるのは何か性に合わないような気がする。いや、無限に資格や受験に落ちてきたのもあるが。
資格や受験も大事ではあるが、目の前で計算機を叩きながら問題を解いている受験生と自分の時間軸が異なるような気がする。今から何かの資格を取るというよりも自分のこの身体感覚を使って何か出来ないか。地球に100億人いることに近い将来なるが、その時の自分が自分でいる確率は、0.00000001%。この個性を活かしていきたい。
村上春樹さんは毎日ランニングをされていて「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んだ。そして今回紹介した上記では、村上さんの優しさが伝わってきた。そして文学賞というものを通して形式的な存在や読者の期待に応える、良い作品を作る、という基本的で本質的なことの大事さを実感した。
コメント