数か月ぶりの投稿になる。
今は新幹線の車内。出発を待っている。
これから東京駅を出て名古屋。名古屋から乗り替えて伊勢へ行く。そして明日は名古屋でコンサート。
ちょうど台風14号が迫っているが、何とかなるだろうと思っている。
前回の投稿が4月29日だったので約5カ月近く間があいた。
その間にいろいろと転職先の環境になれたり、毎日皇居を2周したり、通勤が自転車を使うようになったり。そしてこのタイピングが流暢になったり。
という間に新幹線が東京駅を出る。
有楽町を過ぎて日比谷ミッドタウン、帝国ホテルを過ぎる。新橋、汐留、そして東京タワー。その奥には自分の今のオフィスがある神谷町と六本木一丁目のオフィスビル。まさか今、自分がここでこうやってこの投稿を書いているとは夢にも思わなかった、10年前。
10年前と言えば三重での勤務だった。そして半年に数回、東京のオフィスでの出張でこの東海道新幹線を利用していた。三重での勤務は何をしていたか。それは現場の営業勤務だった。お客様に商品を売る仕事。これがいやでいやで毎日毎日、胃がキリキリするような気分を持ちながら毎日出社していたように思う。当時はそれをタバコを吸って紛らわしていた。そして食べたいものを食べ、また毎日仕事終わりには走っていたように思う。当時の仕事を思い出しても「嫌」という一文字が脳裏にすぐ蘇ってくる。それを支えていたのは東京での本社勤務だった。なぜなら、本社は東京ミッドタウンにあったから。
憧れの東京勤務。
なぜ東京に行きたかったのか。それは超一等地、働ける人も選ばれたわずか一握りの人々。
毎日の会社や上司からの要求。自分のしたいことでは全くない仕事にそれも朝8時から夜は22時まで。それをほぼ毎日。それを約10年。自分の人生をかけて仕事に、地域社会に、そしてお客様、スタッフ、取引先に相対していた。しかし心の奥底では「自分は違う、これは本当に自分がしたいことではない、自分はもっともっと活躍できる、ここは自分の居場所じゃない」と思っていた、毎日毎日思っていた。しかし仕事に入ると目の前の洪水のような、滝のような日々の業務に追われて時間があっという間に流れていた。いや、正しくは休憩時間のタバコのニコチンを求めていたのだと思う。
と、いつの間にか横浜駅。
そういえば品川を出た時に前に座っている方が「席を倒してもいいですか」と言われた。
瞬間で「はいどうぞ」と答えている自分がいた。この瞬間に、何の思考もなく答える自分もまた自分なのだが、その時分はなかなか出てこない。
とこうやってタイピングを打つと、やはりとても打ちやすい。なぜこれを自宅でできないのか。椅子の問題か。またはこの今、新幹線に乗っているというこの状況が自分を集中させているのか。
確かに目の先の風景はどんどん流れている。そしてそれとは非対称にこの自分の前の画面は全く動かない。それが良いコントラストとしてどんどん、どんどんこの画面に集中できるのかもしれないと思う。
またこのタイピングも前回のこの投稿と比較するととてもスムーズに打つことができる。これはおそらく、毎日の仕事でのデスク作業のたまものなんだろうと思う。ところで、このタイピングは前の席の人には迷惑になっていないだろうか。そこまで力は入れていないのだが。前の方の迷惑になっていなければいいのに。
こうやって、この新幹線で集出来るなら、これを通勤時に利用できないかと思う。周りはおそらくスマホで動画や漫画を見ているかワイヤレスイヤホンで音楽を聴いているに違いない。私のこのタイピングはあまり自分が気にしすぎなだけかもしれない。
と、ここでいろいろ新幹線補助のサイトを見ていたら、新幹線の係員さんに声をかけられた。
自分の席が11号12号車12番E席なのだが、11号車に座ってた。本来は12号車に座らなければならなかったのでが、幸い名古屋までは席が空いている、とのことでこのままこの席に座ることが出来た。とてもラッキーだった。
そしてこうやって次々に思考が指を通してタイプされてこの文字になっていくが、おそらく毎日本を読んでいたのでとてもすらすらを言葉が流れていく。これに自分でも驚いている。
音声入力もいいとは思うが、このようにタイピングもいい。音声は自分の頭でことばを一度考えて、口に吐き出していかなければならないが、今はも眼と指で思考を考えているというような気がする。
というか、この文を今紡いだがこの表現に自分がとても驚いている。読書の効用はここにも聞いているんだなあ、と。自分が知らない自分の成長を全く期待もしていない時にかつそれが必要なときに自分のイメージ以上に自分の力を発揮できることを自分で確認できるこの自分のふっ、とした笑み。これは快感だなあと思った。
とこれでいったん、今トイレ休憩に行った隙にここまでどれくらいの文字を打てたのかというと2,057文字を約40分の時間で打てた。1分で約50文字ということか。
これであれば毎日1時間くらいはもう一度ブログに時間を注いてもいいような気がする。
毎日のランニング、毎日の自転車通勤、そして仕事、そして英会話、そしてブログ。
久しぶりのブログ作成というある種の新鮮さはあるものの、やはり自分はまだまだできる。自分に自信を持ってやっていくことが大事だと少し思った。
新幹線の車窓から外を見るとパチンコ『マルハン』の看板が見えた。
そして13年前はよくパチンコに行っていたなあ、と思い出す。
あの、当たりが出た時に玉がどんどん穴に吸われてそしてそれ以上の玉が出てくる、あのゾクゾク感。「ああ、これがギャンブルでのドーパミンか」と思った過去。そしてタバコ。先ほどのトイレに行くときにトイレに向かうと同時に「タバコをやめてよかった」と思った過去。喫煙ルームを探していた10年前の新幹線車内、そしてホームの蒸せるような、またミッドタウン地下の狭い喫煙ルーム。倒れそうになるくらいの副流煙、体に悪いと思っていながら、しかし主流煙のニコチンの依存には克てなかったかつての自分。ではなぜ今は勝てたのか。
あの、当たりが出た時に玉がどんどん穴に吸われてそしてそれ以上の玉が出てくる、あのゾクゾク感。「ああ、これがギャンブルでのドーパミンか」と思った過去。そしてタバコ。先ほどのトイレに行くときにトイレに向かうと同時に「タバコをやめてよかった」と思った過去。喫煙ルームを探していた10年前の新幹線車内、そしてホームの蒸せるような、またミッドタウン地下の狭い喫煙ルーム。倒れそうになるくらいの副流煙、体に悪いと思っていながら、しかし主流煙のニコチンの依存には克てなかったかつての自分。ではなぜ今は勝てたのか。それはドーパミン報酬をニコチンからランニングへと手段を変えたからに過ぎない。要はドーパミンが出ればいいのだ。だから今はランニングをやめることはできない、これは喫煙と同じだと思っている。毎日のルーティン。そしてこれは死ぬまで止められない。今も今朝は4時起きで新幹線には7時半に乗ったので朝は走れていないが、今のこの席の上ではそわそわしている。どうにかして走ってドーパミンを出したいなあ、と。
と、あっという間に3,000字を超えた。
ここまで約1時間。やればできる、継続していこう。
継続といえば、昨日YouTubeで継続の大事さと知った。そして継続をもう一歩踏み込んでなぜ継続が大事なのか、というとスキルが間違いなく、確実にあがるから、ということを腹落ちして理解が出来た。継続しても0の連続だと続かない、しかし継続すると間違いなく効率は良くなるし、気づきも増えるし、何より無意識での対応が増える、今まで考えていたことが無意識でできるようになる。自動化といえばいいのか、これがとても楽になる。
そしてもう一つ。これもYouTubeで学んだのだが、成長は複利なんだということも。そして複利というのは人間が理解ができない、ということも。今まで複利を頭で理解しようと思っていた自分だったのでとても腹落ちできた。そもそも理解できないことを理解しよう、理解しようとやっきになっていた。しかしそうじゃないんだと。ある日突然理解ができるようになる。ある日突然、自分の成長に驚かされる。これこそが複利の効能なんだと。
あと、朝の新幹線がこんなに快適で集中できて気持ちよくて緑がきれいなのも驚いた。
台風が接近していたが、来てよかった。このことを発見できてよかった。
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