【184回】名古屋から伊勢へ向けて

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久しぶりの名古屋に帰ってきた。

そして驚いたことに駅前の建設が全て終わっていた。

10年前は名駅前が建設現場の真っただ中にあり、どこへ行ってもバリケードとドリルの音が鳴っていた。

それが今、10年を経てすべての建設が終わり、その建物に今自分がこうやって立っている。

時間の経過が環境や景色、その大本である空間を変える。これが時空ということか、ということを考えながら今JRゲートタワーの9階に立っていた。そして眼下に広がる名駅前のサークルの交差点(名前はなんだっただろうか、イギリスでもあった)とその中央にある名駅地下駐車場を見ていた。

近鉄列車に乗るのも久ぶりだ。こうやって名古屋から出張や研修の帰りに毎回特急券を窓口で購入していた。その出張や研修では「本当は俺はこんなところで講義なんて受けている場合じゃない。」と内心思っていた。しかし研修では1番最初に発言したり、手を挙げたりしていた。ところで、一番最初に発言すると後はもう発言する必要がないのでとても楽である。そしてまだ誰も何も言っていないのでなんでもいえる。誰かの発言のあとではその発言内容に引っ張られることがあるので「あ、こんなことを言ってもいいのかな」となってしまう。だから最初に発言することがとても楽だし気持ちがよい。ただこれを今ここで書いても懐かしさにしかならないが。

なぜこれほどまでに志向が高かったのだろうか。

この当時の会社でも十分ではないか。

おそらく、自分の基準が高いのだろうと思う。

そしてそれを譲ることができない。

実現しないと嫌だ。

当時は東京を目指していた。そして今、現在もう叶った。

次は世界だと思う。

では世界に向けてどうやって自分を発信していけばいいのか。今自分ができることが何か。

それはこの内容を英語に翻訳してこのインターネットという無限の空間に置いておくことか。

しかし、そもそもこのインターネットは無限なのか。いや、世界のどこかにあるデータセンターの機械というかメモリーの中の世界での出来事でしかない。事実というか世界の中にはない、ということか。ただこの空間の中のどこかにはある。

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