【203回】もう少し何かあったのでは…

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 昨日は久しぶりにワインを飲みに行った。人形町と水天宮近くの焼き鳥屋さんへ。

自分ひとりではまったくわからないであろう場所に、今ももういない元同僚にお勧めの場所を教えてもらい、これまた今はもういない同僚と一緒にその同僚の送別会を行った。

 普段はあまりお酒を飲まないようにしている。昨日も前回飲んだ8月2日以来、約2カ月ぶりのワインだった。そもそもなぜこれほどまでにお酒を飲まないかというと、私自身の身体がアルコールをあまり受け付けないからだ。顔がすぐに赤くなってしまう。それを見られるのが恥ずかしい、というのが一番の理由だ。さらに仕事柄、営業の時代が長く、それもお店での勤務だったこともありそもそもお酒を飲みに行くという習慣自体がなかった。取引先と飲みに行く、ということもなかった。それで10年以上来てしまったので今更お酒を飲みに行くという習慣もできない。そしていまいちお酒の効能も自分自身ではなかなかわからなかったというのもある。

 ただこの年になってこのアルコールろいう効能が少しずつ分かりかけてきた部分もある。

どれはアルコールを飲むと、いろいろなことを忘れることができる、ということだ。何をいまさら、ということもあるが、日々の日常生活で様々自分をセーブしている。我慢というものだ。それから少し解放される。それが最近になってようやくわかってきたように思う。ただそれもまさしく一睡の夢であって、翌日はまた自分は素面(シラフ)に戻っている為、まったく意味はない、というかいつもシラフの時に酔える何かを持っていたいと思うのだが。。。

 一緒に飲み行った同僚は私よりも20年も早く社会に出られた先輩。テーブルの上で今までの経歴をさかのぼっていたのだが、先輩は1988年新卒、私は2008年卒。ちょうど20年の間が空いていた。

いろいろ話をした。この近くの箱崎で働いていたことや海外への留学。私にとってはうらやましい限りの経験をされている先輩。しかしその中でふともらした一言がとても印象に残っている。

「自分はもう引退の時期。人生、もう少し何かあるとおもっていたんだけどな…」

それを聞いて思ったのは、私もすでに同じことを考えているろいうことと、おそらくほとんどみんなが同じことを考えてこの社会を生きているのだろうと思った。

自分は特別だと感じていたが、それは間違いで皆がみんな、自分のことは特別、人とは違う。と思って生活している。そしてそれは今までの歴史もそう。そしてこれからの歴史もそう。

みんな個別は自分は人とは違うと思いつつも全体から見ると何も変わらない。

何かそういうことを感じさせられた一瞬だった。

 

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