はやHHKBのキーボードを購入して2週間が経過した。
最初はそのキーボードの形状の戸惑いとタッチの快感、そしてそもそものブラインドタッチができない中でタイピング練習に使用しているという状況。
今この瞬間も「Y」のキーをセオリーでは右手の人差し指で打つところを長年の癖で左の人差し指で打ったりして癖が全くぬけない。癖を抜こうとして正しい打ち方をしようとしたら指がゆらゆらと固まってしまうことがいやになってくる。その連続。
もう一度見に付いた癖をなくすのが本当に難しい。
そもそも指が大きいからなかなかあるべきでタイピングをすること自体が難しいが、すぐ結果を求めるこの気持ちを抑えてただ淡々と、毎日少しの時間でもいいので継続して時間を味方にしていければいい。
そもそもこのHHKBのキーボードを購入したのはこのブログウを更新する為であって、何もブラインドタッチをマスターするためではない。ブログを書くための手段としてブラインドタッチが出来れば楽だろうな、という手段の効率化の為にやっていた。それがいつの間にか手段が目的となって、ブラインドタッチができるようになることが最終ゴールでその練習でなかなかうまく上達しない自分に嫌気がさしてもう今更何をやっても遅い。この社会に出てからの14年間でたくさん時間があった。もう今からは何をやっても遅い、というマイナス思考に陥っていた。
しかし定年を65歳と考えたらまだあと26年もある。もうすでに老後2,000万円問題も解決している。なんならば老後はこのままいくと億万長者になる。ならばまだまだゆっくり物事を構えてみてみたらいい。そもそも性急に結果を求めすぎて、すぐに結果がでなければやめてしまう。
自分の想像に凝り固まって、イリュージョンの世界を自分の頭の中に作ってそこの行動指針だけで生きてきた。そして無駄に時間と若さだけが失われいった。
自分よりも会社、自分よりも社会の為に。。。
それが大いに間違っていた。
否定をしなければならない。
そのときの一瞬一瞬は我慢、我慢、我慢。
そして幻想に逃げ込んでいた。
もっともっと現実を見なければならない。
現実がもっと大きくて、広くて、多様だ。
自分と他人が違うが同じでもある。
この世の中が自分のこの考えと同じことっを考えている人がゴマンといる。
今までは自分だけだ、と思っていたがそれは大きな間違い。
たとえば、何億年もの古代。海から陸へ上がった我々の祖先は、初めて陸の上に広がる夜空の満点の輝く星をみてどう思たのか。どう感じたのか。
海からは決して見れなかった景色。たまにクジラのジャプをみると海中から空中へジャンプをすることもあるだろうが、常に見上げる、ということはなかったはずだ。
その悠久の時を経て、今の我々がいる。
そいう空想もこの世界何十億の人間がいるので同じことを考えている人は必ずいるはずで、ただ自分の近くにいない、ということ。ただ違いがそれだけだ。
私と同じ喜び、悲しみ。境遇。境遇は別だ。
それはその人だけ。顔つきもその人だけ。しかしその内側にあるものは、同じものがあるはずだ。
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