昨日は仕事が休みだったので石川県まで足を伸ばしてみました。
この季節は桜が散って葉桜の緑が綺麗な時期ですが、
綺麗という表現では表すことが出来ないほど
緑がとても美しかったです。
そして金沢・香林坊の街並みと自然がマッチしており
思わず「見事」というしかないくらいの印象を受けました。
気候も温暖で暑くなく、寒くなく絶好の観光日和となりました。
金沢城では小学生の課外学習の風景や外国人観光客の姿が目にとまり
「非日常」を味わうことが出来ました。
その中でも兼六園の緑の濃さは群を抜いており、
中でも梅の木の緑と苔が印象に残っています。
兼六園では梅が約400本植えられています。
日本各地の名木を取り寄せて植樹されたそうです。
梅、と聞くと3月の初旬に咲く花の可愛らしさはすぐに連想出来ますが
その後の姿はあまり見覚えがないのではないでしょうか。
実は私も同じです。
そしていざ、梅のコーナーに行くと木々の緑がまず目に飛び込んできました。
そして葉。
桜のように大きく広く丸い形ではありませんが
小さく、しかし筋がしっかりと通っていることがわかる形でした。
風薫る5月のための準備でしょうが
この薫風はさまざまな木々の葉が溢れるばかりの生命力を出して天上へ伸びている姿
その力が風に乗って届いている、ということだと感じました。
そういえば兼六園に行く前に鈴木大拙館にも行ってきました。
鈴木大拙は明治期から昭和に掛けて活躍した思想家です。
禅をアメリカに広めた人物として有名です。
そこである知恵と本に出会いました。
知恵は茶の湯の有用性についてです。
茶の湯の本質をこの館の大拙の言葉から感じました。
すなわち戦国時代における他者の命のやりとりが日常であった動の世界と対象の、
自分の命の内底まで潜ってひたすら精神を沈める静の世界。
エネルギーの外への放射と正対する内へのエネルギーの吸収。
この吸収によりまた新たなエネルギーを生み出していた、というのが茶の湯の有効性だと感じました。
本は「大きな木」という絵本との出会い。
館の一室に「思想の部屋」という場所がありそこの本棚にありました。
作者は大拙ではなかったので
「なぜここに置いてあるのかな」
と思いながら手にとって読んでみました。
そして読み進める内に懐かしさや儚さや辛さや怖さなど、
胸が締め付けられる思いがしました。
ただ希望もありました。
それはまだ自分には残された時間がある、という事でした。
この絵本からさまざまな感傷を得ました。
村上春樹氏が翻訳していましたがその後書きに
「何度も何度も読み返して欲しい」とある通り
これからの私の人生の針路になる本と出会えることが出来ました。
色々行動して色々得ることが出来ました。
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