「その名前は捨てた」。
ある映画のセリフです。
捨てることが、自分にとって必要であることが少しづつわかってきました。
時間、お金、夢、希望、考え、妄想、経験。または期待、慣習、ルールなど
私は色々なものに縛られて日々生活しています。
そしてそれに気がつかない、または忘れている。
逆にこれらを目指している、ということが多発していた自分の半生だったと思います。
契機は一年前にタバコを止めたことです。
それまでは、最優先事項の一つとしてニコチンを補給していた。
喫茶店でも喫煙スペースがあるところ。
研修でも休憩時間は何分か。
タバコを吸うことができるまであと何分か。
常に「タバコ」が生活の中心でした。
そして当時はそれでよかった。
なぜなら、タバコを吸うために生きていたようなもんだったから。
今では考えられないが。。。
なので仕事のストレスもタバコを吸うことで解消し、なんなら将来に起こるであろうストレスのために
タバコを吸い溜めしていたこともある。
それほど、大事だった喫煙。
しかしそれを止めて1年以上。
感じることは「自由になった」ということ。
そして「我慢」が少しづつできなくなってきたこと。
これが一番大事なものを捨てたことで「得た」ことだと思う。
新しい発見、同じ日常の中に見ることができる別世界。
ここで思うのは自分はこのような、日々の毎日の新たな世界をさらに見てみたい、ということ。
そして見たことを通して「新しい自分」を感じたい、発見したい、という意思を持っていること。
冒頭に戻るが「名前」を捨てるならば捨てた後の世界は今と全く違うものになるはずである。
そしてその世界で見る「自分」というものに興味がある。
例えば学生時代に「好きな英語の文字は?」と聞かれて「Z」と答えたら
「では明日からあなたはZacね。」とニックネームを付けてもらったように。
名前が変わると人生が変わる。
そして変える、すなわち「捨てる」ことで新しい世界を見ることができる。
仕事を捨てるくらい、なぜ躊躇しているのかわからない。
一番大事なものを捨てるとそれに相応しいものを得ることができる。
常にトレードオフ。
例えば、食事を一日3食から1食に減らすことで健康と長寿を得ることができるように。
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