毎日走ることが日課になっているがなぜこれほどまでに日課にできたのであろうか。
学生時代を振り返ると毎日走ることはできなかった。
社会人になってからこの習慣がついた。
特に東京に来てからは毎朝と毎夕、1日2回走るようになった。
なぜここまでルーチン化できたのだろうか。
理由を探ってみたい。
背中のダルさが取れる
起床するといつも背中がだるい。
肩こりや首こりのような、筋肉が固まって重みを感じる、あの嫌な感じのダルさだ。
このダルさを背中に感じたまま仕事をしたり、遊びに言ってもダルさが気になって集中できない。
それが、走ることでこのダルさが消える。
走る前はまだ感じている。
しかし走って30分もすると自然と消えていて
走り終わって家の玄関の鍵を開ける頃には全く感じなくなっている。
これは気持ちが良い。
だから走る。
ストレスの発散になる
仕事は好きだが、今の「会社勤め」はストレスだ。
なので今年独立するのだが
例えば無駄に人数と時間をかけていてそれが浪費と分かっていない会議
未だにタバコを吸いに自分達だけタバコ休憩を取得する厚顔無恥な上司と同僚。
休みの日は何のゲームをしたか、と言った内容の会話。
今都心の一等地にオフィスがあるからと言って
こういう状況では近い将来破綻するであろう。
この環境はとてもストレスフルだ。
これを朝走ることでストレスの受け皿を作って
夕方は昼間に感じたストレスを発散する。
これをすると全くストレスが溜まらない。
1日1日でストレスゲージが0になるのはとても気持ちが良い。
頭の中が空っぽになる
座禅が良いと昔から言われているが
走ることは「動く座禅」という記事をどこかでみたことがある。
確かにその通りで、無心になれる瞬間がある。
走り出すと周りの風景を見る。
太陽や空、樹々や鳥、虫。
そして気付いたら大脳の中心部の点というか芯というか
そこに重さというか基点みたいなものを感じる。
ランニングの上下運動で体が動くのだが
それに連動してこの脳の点も動くような気がする。
同時にこの点はずっとあるのだが、この点が「ふっ」と消えて「空っぽ」の状態になる。
脳はあるのだが、思考はない。
0というかクリアというか。
目は大手町の高層ビルを見ている。
でも何も考えない。
ただ走る。
それが気持ち良い。
「すっ」とする。
姿勢を正す時に感じる気持ちに似ている。
結論、続けることができるのは「気持ちが良い」為。
ただこれだけ。したがって自分が気持ちが良いことを見つける。
ならば勝手に続く。
これが大事だと思う。
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